実家のピアノを手放しました 

   

 

実家のLDKのリフォームが決まり、20畳ほどの空間にある物すべてを片付けないといけなくなりました。システムキッチンの上・下、特大食器棚2つとテレビラックにあふれる調理器具、食器、物たち。ダイニングテーブルと椅子6脚、3人掛けソファー、ステレオセット、本棚、そして最後の大物がピアノ。「ピアノ、どうする?置いとく?誰かにもらってもらう?」と色々なシナリオを考えながらもなかなか決断できませんでしたが、買い取ってもらうことにしました。母・娘ともに思い出深いピアノだったので、思い出を綴っておこうと思います。

 

 私のピアノ

きっかけは忘れました。でも自分でピアノを習いたいと言ったのだと思います。ご近所に学童保育のように生徒が集まってわいわいやっている間に、1人ずつレッスンをみてくれる教室がありました(今思えば画期的!)そしてブルグミュラーを終えたころ個人教室に移りました。たぶんそのタイミングかな?親がアップライトピアノを買ってくれました。当時は高卒サラリーマンの父の稼ぎで家族6人が暮らしていたので、まさかピアノが買ってもらえるなんて!と嬉しくて嬉しくてずーーーーっと弾いていた記憶があります。お父さん、お母さんありがとう!

 

 クラッシックよりも・・・

特に才能があるわけでもなく、努力家でもなかったので、ピアノの腕は一向に上達しませんでした。そして練習曲に興味がもてませんでした。指の練習だとはわかっていてもハノンの教本なんて大嫌いだったし、先生がこれ弾きましょうと言う曲よりもっとポップなもの、普段街で耳にするかっこいい楽曲を弾いてみたかった。でもお教室の先生はクラッシック専門、厳しい先生だったのでそんなことも言い出せず、大学の通学時間が2.5時間となったときに「練習ができないから」という理由をつけてやめてしまいました。その後は自分で買ってきた楽譜で流行の曲を弾いてみたり、合唱団で歌う曲の伴奏譜をもらって弾きながら歌ったり。うまく弾けなかったけど、すごく楽しくピアノと付き合えた時代でした。

 

 神戸で電子ピアノを買った

23歳で家を離れてから30歳までピアノにはノータッチ。なぜか急に弾きたくなって神戸の独り暮しの部屋に電子ピアノを買いました。結構上位機種を買ったんですが、鍵盤のタッチもすごくよくできていてびっくりしたものです。防音設備なくてもヘッドフォンで夜中でも弾けるし、多重録音して一人でバンドみたいに遊べるし、楽しく遊びました。そして実家のピアノは弾かないまま、調律だけしながら20年経ってしまいました。

 

 母の気持ちに寄り添って

リフォームに際し、いったん別の部屋に移して再度リビングに設置するか(置き場所に床の補強が必要)、それとも誰かにあげるかを決めなくてはいけません。ものすごく頑張って娘のために買ったピアノですから、母は「売るなんて!!!」と過剰反応を示します。何か月も話を続け、あと2週間でリフォーム始まる!もう決めなきゃ!というところでやっと手放すことを決まりました。

母の気持ちを緩めたのはヤマハへの信頼。「ヤマハのピアノだから、ヤマハにひきとってもらおうよ」「ヤマハがきちんと調整して、また別の家でたくさん活躍するんだよ」っというと、「そうか。それもいいいな」と。もっと高値で買い取ってくれるところもありましたが、母の気持ちを優先させました。

 

 今までありがとうね

引き取りの3日前、実家にいってピアノをきれいに磨きました。割り切って手放すと決めたのに、磨きながらしーんみり。ピアノのレッスンで辛かったこと、ピアノを弾きながら妹と合唱したこと、息子といっしょにねこふんじゃった弾いたこと、あれこれ思い出して。最後にちょっとだけ弾いてきました。
無事引き取られたピアノ、どこに行くのかな。たのしく弾いてくれる人のところにお嫁入できますように。














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